日々つれづれ
ジャンルに関わり無く過去にあったことや最近思うことなどを徒然に綴ってみたいと思います。
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Nさん

Author:Nさん
熊本県の北のほうに住む♪60歳を越えてしまったNさんといいます。音楽が好きでクラシックギターをやっていましたが、今はハモンドオルガンに凝っています。
同じ趣味をお持ちの方、老若男女を問わずよろしくお願いします



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いろいろと考えると
神様についていろいろと考えていたのですが・・・。
これ以上考えると よく言えば宗教哲学みたいになってしまいます。
私はそこまでの知識は持ち合わせていませんので中途半端ですが
序章くらいで終わることにしました。

重ねて言っておきますが 私は宗教は嫌いです。でも、神様は信じています。
神様がもともと伝えたかったことは一つのはずですが、それを伝える人が違ってくると
言っていることも違ってきて 同じ教えのはずの宗教でも宗派が違えばケンカをしたりしています。
そんなところの言っていることは信じられません。
というのが結論?・・・・ でしょうか
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

梅雨に入りました。
暫くは良い天気が続くでしょう?? 毎年のように入梅宣言から良い天気が続きますよね。

バイク、夏になるとヘルメットの中は蒸し風呂状態になります。
抜け毛が増えます。 ツーリングをやるなら今のうち。
去年の11月末にガソリン満タンにして まだ40kmと少ししか走っていません。
娘に言ったら バイクがかわいそう との事でした。

オルガンの練習、やっと再開できました。
去年の3月くらいに “無いやる気” をふりしぼって練習はしたものの やっぱり 情熱の炎
が燃えていないと無理のようですね。8月を過ぎた頃からオルガンには触りもしませんでした。

今年の五月、連休明けくらいに触ってみるとなんだか楽しいのです。
早速前回やっていた曲から練習の再開です。楽しいと練習もはかどります。
目指せレパートリー5曲 (できれば10曲)

今日の一曲 ペトゥラクラーク 恋のダウンタウン
曲の印象はあるのですが いつ頃聞いていたのかを思い出せません。



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とうとう
とうとうおきてしまいましたね。 全国の地震発生状況からして九州でも遠からず発生するのでは
ないかな?? と思ってはいたのですが なかなか地震の無いこの地でまさか今頃起こるとは考え
ませんでした。

地震の発生源が四国まで飛び火したら中央構造体が刺激されて大変なことになってしまう気がします。
それこそ “日本沈没” の始まりになるかもしれません。

従兄弟が熊本市内で商売をやっているので按配を聞いてみたところ建物は良かったけど
店の中がめちゃくちゃになっていたそうです。 おそらく今月いっぱいは商品の整理でしょう。

我が家は明治元年生まれのご老体。 大き目のトラックが通ると積み荷しだいでは結構揺れます。
14日夜の地震のときは 「お~結構揺れたなー」 家の瓦は落ちてないかな・・・ 程度の感じだった
のですが16日未明の地震では屋根くらい落ちてるかもしれない・・・ そんな揺れでした。
朝から起きて母屋を見るまでは少々怖かったです。(いつも離れで寝ています)

熊本市内に居る友人や他の地区に住んでいる友人に電話をしましたが被害は少ない様子で
一安心です。

震源地が四国に飛び火しないことを祈ります。 四国に飛び火すると “中央構造体” なるものが
刺激されて “全国規模の大変なこと” になる可能性があります。

このまま無事に・・・ これ以上地震の無いことを祈ります。


神様の話です。


科学と宗教の関係
宗教というとあまり宜しくないイメージもあるのですがここでは「神様の想い」という定義づけで説明したいと思います。また、ここでは人間が今まで科学的に解明してきた謎は全て神様が作られたという前提で述べたいと思います。

宗教と科学は背中合わせだとおっしゃっていた方がいらっしゃいます。私もまったくそのとおりだと思います。

つまり 本来の宗教はとても科学的だということです。
動物細胞の中に存在するDNAにしても今まで分からなかった不思議な現象も全ては神様が作られたもの。
それが最近になって科学の発達により人間が解明してきているということでしょう。
中世においては“物が腐る”という事すら悪魔の仕業だったと聞いたことがあります。顕微鏡のなかった時代、人間は小さなものを認識する術がなかったために病気をはじめ説明できない不思議な現象は全て神様か悪魔の仕業として片付けていたようです。

現在では殆どの事が解明されていて誰も神様や悪魔の仕業だと思えるようなことは起こっていません。ただ、“物を燃やすとなぜ光るのか”や“万有引力”はなぜあるのか。電気を流すと磁界が発生するのはなぜか? など科学で説明できない事は“現象”として一くくりにしてしまい片付けてしまっています。これらのことを考えると世の中いまだに解明されていないことのほうが多いように感じます。

日本では“スーパーカミオカンデ”なるものが作られて“重力波”の検出に力を注いでいますが一足先に外国で観測に成功したようです。
ただ、重力波の検出には成功したけれど この重力波はなぜ存在するのか?などと突き詰めていけば結局そういう重力波というものが現象として存在する 云々でおしまいになるだろうと思います。そこには人間がどう足掻いても超えることのできない現象を作られた神の存在が有るからです。

最初の頃に神の胎内にはエネルギーが流れている と書きました。そのエネルギーの流れの中に存在するものもまたエネルギーでできていると言われた方がいらっしゃいます。私もこれに異論ありません。
まさか?と思われる方もありましょうが原子力における核分裂を見ていただければよく分かると思います。
あれは物質を構成する原子核を何らかの力で破壊してやることで起こります。地球上の物質は全て核分裂を起こすことが可能だそうです。ただ、核分裂を起こさせる物質が安定しているとなかなか核分裂が起こらない。この安定の程度で利用価値が違っているようですね。
不安定な元素としてウラニウムやプルトニウムは名前がポピュラーになってきました。

科学の世界では同じ物事を数値として。宗教の世界では心で理解しているに過ぎないと思います。

フランク ・ シナトラ
昔、フランクシナトラという歌手 (俳優?) が居ました。 その娘さんのナンシー・シナトラの
歌声です。 “カゥ・ガール” の格好がかわいかったですね。 結構好きですよ。



バイクの話ですが 近場に面白い道を見つけました。 面白いといっても走っておもしろい
ということです。ちょっとした山道で 起伏もあり、当然カーブもあるのですが そのカーブが
少々小さめの半径であまりスピードが出せません。
スピードが出せない割にはバイクを倒さなければ曲がれない・・といったカーブです。

しばらく病み付きになりそうです。

で、神様の話です。


“神様の想い”とは何なのか? それは私の結論では“全てのものの調和”だろうと思います。
どうすればその調和が得られるのかというとそれは自然界でおこる淘汰の中に見出すことが
できると思います。
自然界の中の動物界でおこる弱肉強食にも調和があって肉食獣は自分の胃が満たされると
それ以上、必要以上に狩をやるようなことはありません。そのことで調和 (バランス) が保た
れているわけです。

狩をやりすぎると自分たちの食料が少なくなります。狩をやらなさ過ぎると食料である草食動物
が増えすぎ緑がなくなって行き、草食動物が生存できなくなり また食料が少なくなってしまうのです。
適当に狩をすること。これをなかなかできないのが人間で、何かが儲かるとなると必要以上に
狩 (物作り) をしてしまい、不良在庫の山を作ってしまっていざ・必要なときにものがなくて作れな
い状態に陥ったりしてしまいます。

そんな大自然を見てもなかなか分からないのですが、私の知っている限り二つだけ神様の想いを
記したものがあります。

一つは“モーセ”様が神様から直接戴かれた“十戒”。
もう一つは仏教の中にある“八正道” だと思います。
他にも在るのかも知れませんが残念ながら私はこの二つしか知りません。

この二つのうちどちらか一方を実践することでこの世の調和は実現できると思っています。

ちょっと前の曲
テレビで “警部アイアンサイド” というドラマが放送されていました。 それのテーマ曲が ゴシップ報道
の番組で使用されていたのでご存知の方も多いと思います。・・・ 新聞によりますと・・・・



曲の冒頭、 切羽詰った感じがして格好良くて好きな曲です。


神様の話。続きです。


この世の全てのものには神様が宿っておられる、私たちの体にすら。
その神様が宿っておられるものは“御神体”と呼んで差し支えないでしょう。
その御神体である自分の体に穴を開けたり刺青を施したりするのはその人たちの好き好きでしょう
が正直言って私は好きではありません。極言すれば“神を冒涜”している事になると考えます。

神様仏様・・ と呼びかける言葉がありますが、神様と仏様はどう違うか。私なりの結論ですが、
“神様とは絶対不動のもの。仏様とは神様の想いを理解した人のこと”だと思います。
だから 死んだ人を仏様と呼んでいるのは便宜上のことであって、死んだからといって決して本当
の“仏様”にはなれないと言うことを心においておかなければいけません。

“神様の想いを100%理解したら神様と同じことができる”という言葉を何かで読んだ事があります。
つまり、我々も神になることができる。さぁーそうなれれば嬉しいですね。

で、“神様の想い”とはなんだろう? と考えたことがあります。行き着いた先は“この世の調和”でした。
今、世界中の人々が望んでいることは“戦争のない平和な世界”だろうと思います。でも、戦争がなけ
れば平和と言えるのでしょうか?
 一見平和な日常を過ごしていても嫌いな人と付き合わなければならない、いやな言葉を聞かなけれ
ばいけない。そろそろ胃に穴が開きそうだ・・・的な毎日の生活では身が持ちません。
そこら辺も併せて平和でなければ本当の平和とは言えないのではないでしょうか。


オールデイズ
60年代前後のオールデイズ。 好きです。 “ティーチャーズペット”
ドリス・デイ が歌っていたんですね。 この頃の曲の、軽やかさが好きです。




数日前、 バイクの手入れをしました。 大きな汚れこそ無かったのですがおそらく購入してか
ら “手入れって?” 状態ではなかったかと汚れがあちこちに・・・。

今頃気づくのも変ですが、 いったん気になりだすとやっぱり気になってあちこちと洗いました。
水垢が付いていたら大変だからとお風呂洗剤を使います。
 でも、翌日ジッと見るとまだ落ちてない箇所がチラホラ。 タワシが使えるところはタワシで
ごしごし。  ついでにチェーンの手入れ。

前回チェーンの手入れをしたときはかなり汚れが落ちてきたので 今回もそのくらいかな?と思って
いたのですが意外と汚れは落ちてきませんでした。 やっぱり手入れなんてしていなかったん
でしょうね。


神様の話の続きです。


世に「一神教」という言葉があります。それに対しての言葉は「多神教」
私の考えでは この世界は一神教の世界だと思います。でも、すぐに出てくる疑問があると思います。それは「八百万の神」という言葉、神様は八百万もいらっしゃるということです。一見 矛盾するように感じますが私は矛盾を感じません。前にも言った「この世は神の胎内にある」事からするとこの世の全ては神の体、神の一部なのです。

それじゃあなぜ八百万にもなるのかというと私たちも右手でやったほうがやり易い事と左手でやった方がやり易い事とがあります。体の部位しだいで得意分野があるということです。神様の各部位にも得意分野があっても宜しいかとの私の考えです。

だから八百万もの神様は本当は一つの神様なのですが神様の部位にも各得意分野が有って その部位を別々にカウントするからとてつもない数の神様になってしまっているように思います。

この宇宙は全て神の胎内にあることから考えると“物”一つ一つに神の意識が備わっていることだと思います。山や岩、水や空気、究極は私たちの体を構成している細胞一つ一つにまでです。
ここで見逃せないのは私たちの細胞にも神様が宿っているということです。いわば私たちも神様だといえるのではないでしょうか。

八百万とは言ってもこの地球上の話ですからそれら全ての神を一つにしてやっと神本体のほんの一部。宇宙全体のことを考えると神様は大きいですね。それで思い出すのは神社に行ったら大方の神社に“御神木”と言うものがありますがこれはまあ 神様からすれば目印みたいなものではないでしょうか。人間から観たら大きな木でも神様から見たら小さいもの。こんなものに閉じ込められたら神様もたまったものではないでしょう。

この世の全ての・万物には神様が宿っていらっしゃいます。特に神様が見えるわけでもないので我々は神様に感謝すらしていません。まるで地上には“空気”が有って 我々はそれを呼吸しているのですが空気が有ることが当たり前すぎて気にも留めていません。そんなものでしょうね。


バックミラーの交換


写真のバックミラーを交換しました。 勿論バイクのです。
乗るたびになんだか位置が変わっていて・・・、それも走っているうちに角度が変わるのです。

あるとき、少し路面が荒れ気味のところを走ったら如実にぐるっと回ってしまいました。
慌てて手で押してやるのですが走りながらこれをやると とても怖いですね。

原因はバックミラーの取り付け部 (写真の根っこの部分) がミラーがぶつかった時に動くように
なっているのですが、その部分が緩くなっていました。

どうやら息子が “立ちゴケ” した時に痛めていたようです。交換した旨を電話で話すと
“やっぱりそぅ? 気にはなっていた” 分かっていたらさっさと修理しとけ! テナ話ですが。

私もやったことが有ります。 家に帰り着いて安心してバイクから降りようとしたらいつも以上に
バイクが傾いてきます。しっかりと踏ん張ったのですがとうとう倒してしまいました。

よく見るとスタンドが出ていません。安心して、気が抜けてスタンドは出したつもりに
なっていたんでしょうね。それ以来ありません。 キッパリ

とりあえず安心して乗れるようになりました。

で、神様の話の続きです。


神様の続きですが、まずレポートの書き方を踏襲して結論から書きましょう。

私が言うところの神様とは “宇宙” を含めて私たちが住んでいる世界全体を創造した “創造主” を指します。
簡単ですね。大事なことは、私たちは創造主の胎内に生かされているということです。
ひょっとしたら我々は神様の胎内にいる“寄生虫”あるいはそれに近いものかもしれません。
(これに関しては別な結論もあります)

神の胎内に居るのだから“神”を観ようとどう足掻いても観ることはできません。
神の胎内から出ないと見えないわけです。
ただ、神の胎内から出る事がどういう事を意味するのかは解かりません。
でも、神の (胎内) 世界に生きている者がその環境から出て行ったらどうなるか?なんとなく分かる気もします。

神の胎内だから世の中の現象は全て神の意志のままに動いています。
私たちの体の中に血液が循環しているように神の胎内に循環しているものがあります。
それは“エネルギー”だといっている方がいらっしゃいました。
そのエネルギーが神を構成している。し、エネルギーには流れがあります。

船も海の流れに沿って航行すれば無理なく航行できますが、流れに逆らうとかなり無理な航行をすることになります。

神の胎内に居る私たちが神の意思に逆らったことをして神様が腹痛でも起こしたら大変です。
天変地異が起こります。 神様がのた打ち回る? のです。
病気の原因は取り除かれます。人が神の流れ(意思)に沿って生きるとはどういうことなのか・・・。
そこのところに“宗教”が絡んでくるのですが 宗教に関してここでは必要最小限とし、あまり近づかないことにします。怖いです。


死にかけた経験から
神様の話


私は小さな頃から些細ではあっても色々と不思議体験をしてきました。そんなこんなでいろいろと疑問も湧いてきていました。そんなことがきっかけでまだ幼い頃に「神様とはなんだ?」という自問自答を繰り返していたのですが いつの間にか忘れ去り最近まで過ごしてきました。

今思えばあの時はああだった、この時はこうだった等と思い出します。思い出しては忘れ、思い出しては忘れの繰り返しですのでそろそろ自分なりの答え・・・と言うか、今の時点での考えをまとめてみようと思います。
ただ、今頭の中にあることや思い出したことなどを並べていきます。でも不思議現象だけを追いかけるようなことはやらないことにします。

最初に断っておきますが 私自身どこかの教団に属しているなどということは決してありません。宗教も無宗教状態で、強いて言うなら両親のお墓の都合で“浄土真宗”の檀家になっているくらいでしょうか。
ただ、無宗教な私でも宗教よりも高次元の(私はそう思っています)“神様”だけは信じています。
それと、私自身 特に神学だとか宗教を勉強したわけでもないのであくまでも私の主観で書くことにします。







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