日々つれづれ
ジャンルに関わり無く過去にあったことや最近思うことなどを徒然に綴ってみたいと思います。
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熊本県の北のほうに住む♪60歳を越えてしまったNさんといいます。音楽が好きでクラシックギターをやっていましたが、今はハモンドオルガンに凝っています。
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頚椎不全損傷
だいぶリハビリで病院へ通っていたのですが自分なりにリハビリも出来そうな様子で・・・。そんな毎日になった頃リハビリの担当の先生に 「もう後は自分で出来そうですから」 と言って月に二度の診察だけにすることにしました。

するとどうでしょう!暫くは良かったのですが10日ほどたつといままで制限はあってもほぼ不自由なく動いていた右手が上へ挙がりにくくなってきたではないですか (-。-;
これにはびっくりです。再度リハビリを申し込み治療を受けたので少しずつ動くようになっては来たものの中々元のようにはなりませんでした。実際には 「ここまで腕も挙がれば実生活にはマズ支障は無い」 というところまでは来ていたので保険の適用が終わったところでリハビリも終了にしました。

そんなある日。いつものように自力リハビリをやっていたら右肩の中で “コツン” という感じがしました。丁度肩のスジが溝にはまった感覚です。それまでは右の肩甲骨の下に何か物が挟まっている感覚があったのですがそれ以来その感覚がありません。
それ以来だんだんと動きにくくなっていた右肩が逆にだんだんと動かしやすくなり、今では元の状態までとは言いにくいのですが動くようになってきました。

その当時の先生は別の診療リハビリへ移られたのでなかなか会えませんが今の私を見たらびっくりされるでしょうね

テーマ:頑張れ自分。 - ジャンル:日記

住所の移転
息子が横浜へ行ったので転出届で住民票から息子の項目を除いたのですが・・・
最初は一年ほど横浜で研修があって それから各地に配属になる とのことで、車の免許更新が今年なので云々という理由で横浜の住民にならないと更新の時に荒尾に帰らないと更新が出来なくなる・・・はずだったのですが・・・

研修は2カ月だけでその後どこかに配属、ということが分かりました。それに地区の役所の出張所に行く時間がなかなか取れないということで一旦住民票を元に戻すことになり“お母さん”ご苦労さんでした。

私へは 「あれを送ってくれ、これを送ってくれ」 とリクエストの多いこと多いこと。
極めつけは 「パソコンを一式送ってくれ」 ・・・やっとの想いで箱を調達し、送りました。外付けのスピーカーなどもあったのですが後日移動する時の邪魔になら無いようにと必要最低限で送ったのですが、何とか用は足りているようです。

子供想いのいい親だな・・・ヒヒヒ
日本郵便
就職で息子が横浜まで行ってだいぶ経ちますが
 本人住所を住民票から抜き、向こうに移すよう準備した後に郵便関係も本人の分だけ 「転送願い」 を出しといたほうがこちらで受け取った郵便をまとめて本人に送るよりも時間も手間も掛からずによかろう、と思いそのように手続きしました。

 それから数日後に息子から 「源泉徴収表を送ってくれ」 とのリクエストです。早いほうが良いとのことだったので近くの郵便局から速達で送りました。それから数日後娘(姉)が弟が好きだったお茶を買ってきて 「これも送る」 といったので送りました・・・が・・・速達郵便はもとより後から送ったお茶も届かないとの連絡です。またその後に送った郵便も届かないとのことだったので郵便局に問い合わせました。

 幸い最初に送った速達と転送サービスの申込書の控えがあったので追跡してもらえるとのことでした。
 5日ほど経っても何の連絡も無いので再度郵便局へどうなっているか問い合わせたら 「調査結果が出るのに2~4週間掛かるけど、もう一度確認してみます」 とびっくりするような答えです。それからまもなく息子のほうから郵便が届いたとの知らせが着ました。今までの分が全部まとめて届いたようです。
 大事な 「無線の免許 も免許番号を控えないうちに紛失となったらどうしよう、再発行できないぞ」 と気を揉んでいたところだったので一安心です。

 クロネコさんは郵便を出す前から届いていたのに郵便屋さんはどんな考えなんでしょうね?未だに謝罪はおろか連絡すらありません。
頚椎不全損傷
退院はしたものの
家に帰ってからも週に二回リハビリに通うこと以外は入院していた時と同じです。ただ、体力がなくなってしまっていましたので少し体を動かしたらすぐにお布団の上。一日のうち、三時間ぐらいしか体を動かせませんでした。30分動いたら1時間お休み・・・。それと、よく眠れること眠れること。

退院して二ヶ月ほどした頃です。いつものように腕と指のリハビリをやった後に首の運動をやったところ頭を前のほうへ倒した時に「ごくん」という音がしました。もともと頚椎不全損傷ということでしたのでその音を聞いたときにゾクっと背筋に冷たいものが走りました。「またやったか?」でも、体に異状はありません。

なぜだろうと思いながらも翌日はそれを忘れ、毎日を過ごしていました。10日くらいの間を置いて都合3回その音がしました。3月末になったら異動の時期、ご多分に漏れず私の主治医の先生も交代です。新しい先生の診察、その時に初めて私の首のレントゲン写真を見せてもらったのですがナットクです。首の骨が3カ所、曲がるストローのような感じで折れ曲がっていました。それが戻った時「ごくん」という音がしたようです。


日々徒然のはずがすっかり“月々~”になってしまいました。そんなつもりじゃなかったんですが?? だいぶ暖かくもなってきましたし、体調も好くなってきたのでそろそろまた“復活”することにします。

散歩道でも「野いちご」の花から「野バラ」の花へ衣替えです。どちらも似たような大きさの白い花なのでいつの間にか入れ替わってしまっていました。写真、撮って置けばよかったですね。周りではこの間までは練習中だった鶯が今では立派に鶯であることを主張しています。

左手の小指もだいぶ力が入るようになってきたので今度こそはオルガンの練習を・・・
あんず手の手入れ

我が家のうさぎさん(あんず)も今では慣れたもので人前でお腹を見せておて手?の手入れです。
ウサギだといわなければなんと言う動物かわからないときがちょくちょくあります。
巣立ち
うちの末っ子(次男坊)が3/17に卒業しました。その後色々とやっていて3/31に就職で大阪経由で一年間(ちょっと長い?)東京で研修だそうです。望みどおりにプログラムの仕事がめぐってきたようです。

いろいろ有りましたが最後に言った言葉が (私に直接ではなくてお母さんに) 「大学には行く気はなかったけどお父さんがしゃにむに勧めたから行った」。「でも、今は行ってよかったと思っている」 と生意気なことを言ったそうです。
 道理で九大を狙わせたのに2浪もしてしまって別の学校へ・・・行く気が無けりゃ当然の結果でしょうね。
成績は九大でも通っていたはずなのに大学よりも専門学校へといっていた次男を説き伏せるのにだいぶ苦労もしました。
でも、上の言葉で救われました。

お母さんは寂しい寂しいと連日悪酔い状態です。

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