日々つれづれ
ジャンルに関わり無く過去にあったことや最近思うことなどを徒然に綴ってみたいと思います。
プロフィール

Nさん

Author:Nさん
熊本県の北のほうに住む♪60歳を越えてしまったNさんといいます。音楽が好きでクラシックギターをやっていましたが、今はハモンドオルガンに凝っています。
同じ趣味をお持ちの方、老若男女を問わずよろしくお願いします



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



FC2カウンター



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

フランク ・ シナトラ
昔、フランクシナトラという歌手 (俳優?) が居ました。 その娘さんのナンシー・シナトラの
歌声です。 “カゥ・ガール” の格好がかわいかったですね。 結構好きですよ。



バイクの話ですが 近場に面白い道を見つけました。 面白いといっても走っておもしろい
ということです。ちょっとした山道で 起伏もあり、当然カーブもあるのですが そのカーブが
少々小さめの半径であまりスピードが出せません。
スピードが出せない割にはバイクを倒さなければ曲がれない・・といったカーブです。

しばらく病み付きになりそうです。

で、神様の話です。


“神様の想い”とは何なのか? それは私の結論では“全てのものの調和”だろうと思います。
どうすればその調和が得られるのかというとそれは自然界でおこる淘汰の中に見出すことが
できると思います。
自然界の中の動物界でおこる弱肉強食にも調和があって肉食獣は自分の胃が満たされると
それ以上、必要以上に狩をやるようなことはありません。そのことで調和 (バランス) が保た
れているわけです。

狩をやりすぎると自分たちの食料が少なくなります。狩をやらなさ過ぎると食料である草食動物
が増えすぎ緑がなくなって行き、草食動物が生存できなくなり また食料が少なくなってしまうのです。
適当に狩をすること。これをなかなかできないのが人間で、何かが儲かるとなると必要以上に
狩 (物作り) をしてしまい、不良在庫の山を作ってしまっていざ・必要なときにものがなくて作れな
い状態に陥ったりしてしまいます。

そんな大自然を見てもなかなか分からないのですが、私の知っている限り二つだけ神様の想いを
記したものがあります。

一つは“モーセ”様が神様から直接戴かれた“十戒”。
もう一つは仏教の中にある“八正道” だと思います。
他にも在るのかも知れませんが残念ながら私はこの二つしか知りません。

この二つのうちどちらか一方を実践することでこの世の調和は実現できると思っています。

スポンサーサイト
ちょっと前の曲
テレビで “警部アイアンサイド” というドラマが放送されていました。 それのテーマ曲が ゴシップ報道
の番組で使用されていたのでご存知の方も多いと思います。・・・ 新聞によりますと・・・・



曲の冒頭、 切羽詰った感じがして格好良くて好きな曲です。


神様の話。続きです。


この世の全てのものには神様が宿っておられる、私たちの体にすら。
その神様が宿っておられるものは“御神体”と呼んで差し支えないでしょう。
その御神体である自分の体に穴を開けたり刺青を施したりするのはその人たちの好き好きでしょう
が正直言って私は好きではありません。極言すれば“神を冒涜”している事になると考えます。

神様仏様・・ と呼びかける言葉がありますが、神様と仏様はどう違うか。私なりの結論ですが、
“神様とは絶対不動のもの。仏様とは神様の想いを理解した人のこと”だと思います。
だから 死んだ人を仏様と呼んでいるのは便宜上のことであって、死んだからといって決して本当
の“仏様”にはなれないと言うことを心においておかなければいけません。

“神様の想いを100%理解したら神様と同じことができる”という言葉を何かで読んだ事があります。
つまり、我々も神になることができる。さぁーそうなれれば嬉しいですね。

で、“神様の想い”とはなんだろう? と考えたことがあります。行き着いた先は“この世の調和”でした。
今、世界中の人々が望んでいることは“戦争のない平和な世界”だろうと思います。でも、戦争がなけ
れば平和と言えるのでしょうか?
 一見平和な日常を過ごしていても嫌いな人と付き合わなければならない、いやな言葉を聞かなけれ
ばいけない。そろそろ胃に穴が開きそうだ・・・的な毎日の生活では身が持ちません。
そこら辺も併せて平和でなければ本当の平和とは言えないのではないでしょうか。


オールデイズ
60年代前後のオールデイズ。 好きです。 “ティーチャーズペット”
ドリス・デイ が歌っていたんですね。 この頃の曲の、軽やかさが好きです。




数日前、 バイクの手入れをしました。 大きな汚れこそ無かったのですがおそらく購入してか
ら “手入れって?” 状態ではなかったかと汚れがあちこちに・・・。

今頃気づくのも変ですが、 いったん気になりだすとやっぱり気になってあちこちと洗いました。
水垢が付いていたら大変だからとお風呂洗剤を使います。
 でも、翌日ジッと見るとまだ落ちてない箇所がチラホラ。 タワシが使えるところはタワシで
ごしごし。  ついでにチェーンの手入れ。

前回チェーンの手入れをしたときはかなり汚れが落ちてきたので 今回もそのくらいかな?と思って
いたのですが意外と汚れは落ちてきませんでした。 やっぱり手入れなんてしていなかったん
でしょうね。


神様の話の続きです。


世に「一神教」という言葉があります。それに対しての言葉は「多神教」
私の考えでは この世界は一神教の世界だと思います。でも、すぐに出てくる疑問があると思います。それは「八百万の神」という言葉、神様は八百万もいらっしゃるということです。一見 矛盾するように感じますが私は矛盾を感じません。前にも言った「この世は神の胎内にある」事からするとこの世の全ては神の体、神の一部なのです。

それじゃあなぜ八百万にもなるのかというと私たちも右手でやったほうがやり易い事と左手でやった方がやり易い事とがあります。体の部位しだいで得意分野があるということです。神様の各部位にも得意分野があっても宜しいかとの私の考えです。

だから八百万もの神様は本当は一つの神様なのですが神様の部位にも各得意分野が有って その部位を別々にカウントするからとてつもない数の神様になってしまっているように思います。

この宇宙は全て神の胎内にあることから考えると“物”一つ一つに神の意識が備わっていることだと思います。山や岩、水や空気、究極は私たちの体を構成している細胞一つ一つにまでです。
ここで見逃せないのは私たちの細胞にも神様が宿っているということです。いわば私たちも神様だといえるのではないでしょうか。

八百万とは言ってもこの地球上の話ですからそれら全ての神を一つにしてやっと神本体のほんの一部。宇宙全体のことを考えると神様は大きいですね。それで思い出すのは神社に行ったら大方の神社に“御神木”と言うものがありますがこれはまあ 神様からすれば目印みたいなものではないでしょうか。人間から観たら大きな木でも神様から見たら小さいもの。こんなものに閉じ込められたら神様もたまったものではないでしょう。

この世の全ての・万物には神様が宿っていらっしゃいます。特に神様が見えるわけでもないので我々は神様に感謝すらしていません。まるで地上には“空気”が有って 我々はそれを呼吸しているのですが空気が有ることが当たり前すぎて気にも留めていません。そんなものでしょうね。


バックミラーの交換


写真のバックミラーを交換しました。 勿論バイクのです。
乗るたびになんだか位置が変わっていて・・・、それも走っているうちに角度が変わるのです。

あるとき、少し路面が荒れ気味のところを走ったら如実にぐるっと回ってしまいました。
慌てて手で押してやるのですが走りながらこれをやると とても怖いですね。

原因はバックミラーの取り付け部 (写真の根っこの部分) がミラーがぶつかった時に動くように
なっているのですが、その部分が緩くなっていました。

どうやら息子が “立ちゴケ” した時に痛めていたようです。交換した旨を電話で話すと
“やっぱりそぅ? 気にはなっていた” 分かっていたらさっさと修理しとけ! テナ話ですが。

私もやったことが有ります。 家に帰り着いて安心してバイクから降りようとしたらいつも以上に
バイクが傾いてきます。しっかりと踏ん張ったのですがとうとう倒してしまいました。

よく見るとスタンドが出ていません。安心して、気が抜けてスタンドは出したつもりに
なっていたんでしょうね。それ以来ありません。 キッパリ

とりあえず安心して乗れるようになりました。

で、神様の話の続きです。


神様の続きですが、まずレポートの書き方を踏襲して結論から書きましょう。

私が言うところの神様とは “宇宙” を含めて私たちが住んでいる世界全体を創造した “創造主” を指します。
簡単ですね。大事なことは、私たちは創造主の胎内に生かされているということです。
ひょっとしたら我々は神様の胎内にいる“寄生虫”あるいはそれに近いものかもしれません。
(これに関しては別な結論もあります)

神の胎内に居るのだから“神”を観ようとどう足掻いても観ることはできません。
神の胎内から出ないと見えないわけです。
ただ、神の胎内から出る事がどういう事を意味するのかは解かりません。
でも、神の (胎内) 世界に生きている者がその環境から出て行ったらどうなるか?なんとなく分かる気もします。

神の胎内だから世の中の現象は全て神の意志のままに動いています。
私たちの体の中に血液が循環しているように神の胎内に循環しているものがあります。
それは“エネルギー”だといっている方がいらっしゃいました。
そのエネルギーが神を構成している。し、エネルギーには流れがあります。

船も海の流れに沿って航行すれば無理なく航行できますが、流れに逆らうとかなり無理な航行をすることになります。

神の胎内に居る私たちが神の意思に逆らったことをして神様が腹痛でも起こしたら大変です。
天変地異が起こります。 神様がのた打ち回る? のです。
病気の原因は取り除かれます。人が神の流れ(意思)に沿って生きるとはどういうことなのか・・・。
そこのところに“宗教”が絡んでくるのですが 宗教に関してここでは必要最小限とし、あまり近づかないことにします。怖いです。







上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。